フルーツカクテル用に仕入れてきました。
宮崎県の金柑たまたま
福岡県のあまおう
どちらも美味しいカクテルになりますよ〜
Bar restaurant located in Kita-Shinchi, Osaka
~閉鎖蒸溜所の希少なシングルカスクボトリング~
軽井沢蒸留所は、活火山である浅間山の麓に1955年に設立されました。
避暑地としても有名な軽井沢は、海抜850メートルという高所に位置しており、
そのスコットランドに似た湿度が高く涼しい気候はウイスキーづくりに適した環境でした。
1991年に日本ではいち早く、スコットランド産麦芽を取り入れ、1熟成にはほぼオロロソシェリー樽を使用しています。
しかし、同蒸留所は2000年に製造を終了し、今年、2012年には完全に閉鎖。
今後、ウイスキーがつくられることのない幻のシングルモルトとなってしまいました。
軽井沢1991シェリーバットは、樽のストックが残りわずかな20年オーバーの軽井沢で、
もちろんシングルカスク・カスクストレングスのボトリングです。
63.7%のアルコールをいなしつつ、香りを嗅いでいくとオイリーなナッツ、
レーズン、煮たりんご、マーマレード、バニラ、古いロッキングチェアです。
味はミード、ミルクチョコ、アーモンドオイル、ドライアプリコット、胡桃、クローヴで、
加水によりマーマレード、シトラス、りんごなどのフルーティさが出てきます。
21年間でオークとシェリーの成分がバランス良くしみ出し、
またジャパニーズモルトらしい艶やかな味わいを伴っています。
1991年ヴィンテージの樽のストックは5樽をきっています。
近年、ヨーロッパでの人気が急速に高まっている日本のシングルモルトの希少な長期熟成を是非、ご堪能ください。
軽井沢蒸留所
軽井沢蒸留所は現在のメルシャン株式会社の前身、大黒葡萄酒株式会社によって1955年(昭和30年)に建設。同社は1952年から塩尻でウィスキーの製造を行っていたが、より高品質なウィスキーの生産を目指し、スコットランドに似た冷涼な気候と鮮烈な浅間山系の伏流水が軽井沢での蒸留所建設の決め手となった。
当初、国産の大麦しか使用できず、1958年(昭和33年)の規制緩和で日本で初めてスコットランド産の大麦をウィスキーの原料として輸入。1991年以降は伝統的なゴールデンプロミス種のみで行っている。
発酵はオレゴンパイン製の木桶の発酵槽(ウォッシュバック)で行い、4Klから5Klの小型のポットスティルで蒸留。熟成はほとんどがゴンザレスビアス社のドタイオロロソシェリーの空樽で行うなど、小規模ながら、伝統的で高品質なモルトウィスキー造りを目指してきた歴史を感じる蒸留所。
1976年に発売された「軽井沢」は国産のモルトウィスキーとして初めて商品化された。
「軽井沢12年」IWSC・ワールドワイドウイスキーの部で金賞受賞。
「軽井沢15年、17年、21年」銀賞受賞。
現在は生産を休止しており、国産モルトウィスキーの草分け的存在として再開が待たれる。
やっとお目にかかれました!
米で最も予約が難しいフレンチランドリー(ミシュラン3つ星)をはじめ、国内外でオンリストされる先は「超」が付く一流レストランや高級ホテルのみ。
一般的なショップでは到底手に入りません。
ファミリーで運営される造り手の中には、高い名声を博す一流レストランのオンリストのみを見据えたワイン造りを進めるケースがままあります。 特にスモールロット専門のピノノワール・プロデューサーに顕著な例ですが、その場合、一般的なワインショップのショーケースに並ぶことも稀であり、取扱いは概ね一般非買。ゆえに、大勢の目に留まるメジャー・メディアの評点や、特定の批評家による嗜好を気にする事なく、自身が信じる方向性を大切にすることができます。 |
ジョージもまさにそれに該当する例であり、名の浸透度に相反するかのように、ソムリエを中心としたレストラン関係者に大変高く評価されています。
北米においては、屈指の美食が集まるニューヨークにサンフランシスコを中心とするベイエリア、そしてラスヴェガスの格式高い有名レストランへオンリスト。
昨年(2012年)の輸入は、2004ヴィンテージ以来のことでした。
かつての販売時においては、東京・京橋のフレンチ“シェ・I”(ミシュラン星付)に、最高級中華料理店の“横浜H楼”など、国内においても、名立たる有名店ばかりが並んだものです。(伏字にて失礼 m(__)m )
▼ 比較試飲でDRCが完敗!?
■ ジョージ・ワインカンパニー オーナーのジョージ・レヴコフ(George Levkoff:画像下の左側)は、ある日、レストランで飲んだ1991年と1992年のウイリエムズ・セリエム “ロキオリ・ヴィンヤード”に深い感銘を受け、ピノノワール造りを志しました。 移住先をセリエムのお膝元、ソノマのヒールズバーグに定めた彼は、15年以上に渡るボンド・トレーダーの前歴を捨て、マンハッタン・ビーチの自宅を売却します。彼はまず、ワインシンクタンクの最先端、カリフォルニア大学デイヴィス校(UCデイヴィス)にて栽培学及び醸造学を修習します。その後、1999年から2001年までの間、収穫から醸造まで幅広くワイン造りに携わった先が憧れのセリエム。更に空き時間も有効に活用し、セリエムを興した一人であるバート・ウイリアムズ氏の娘さんがオーナーを務めるブローガン・セラーズにて、ワイン造りの研鑚を積みます。 フラワーズのCMR(キャンプ・ミーティングリッジ)、マルティネリ所有のブルースライド・リッジ(マーカッサンのパーセル含む)に並び、“ソノマ三大グラン・クリュ”として誉れ高いヴィンヤードに「ハーシュ」があります。(画像右) グロワーとして果実を供給する先には、キスラー、リトライ、クッチ、リオコ等の上級生産者ばかり… ワイン造りの研鑽を積む日々を送るジョージ・レヴコフは、ある日、ハーシュ・ヴィンヤードの当主であるデヴィッド・ハーシュと出会い、畑作業を手伝う機会を得ます。そして、やがてはその情熱が認められた時、ジョージ・レヴコフ氏は、デヴィッド・ハーシュ氏よりピノノワール生産者にとって羨望の果実を譲り受けることに成功します。 {デヴィッド・ハーシュが自らのプライベートブランド(ハーシュ・エステイト)を立ち上げた際、ジョージもその設備の使用を許されましたが、処女作となる2003年と2004年のワイン造りは外部ワイナリー(モーシン)にて。} |
▼ ジョージのワイン造りは、一貫して“UN”が念頭に置かれます。
果汁は、自然の力を利用したグラヴィティフロー設計(重力式構造)の設備により得られたデリケートな風味に富むフリーランジュースのみ。
熟成にはフランソワフレールの新樽のみを用い、仕上がったワインは劣化を避ける為にも、樽から直接瓶詰めされます。
極力人の手が加わらぬハンドクラフト・ワインの象徴として、ジョージでは「ワイナリーで使われる電力は冷房のみ」を標榜しています。
▼ セレモニアル・ヴィンヤード (Ceremonial Vineyard)
その味わいについて、ジョージ・レヴコフ氏からは次のように述べられます。
「チェリー、ストロベリー、ラズベリーと言ったクラシカルなロシアン・リヴァー・ヴァレーのフレーバーを得る為に、他の造り手よりも比較的に早めの収穫を心がけている。それにより、プラム、プルーン、レーズン様のフレーバーが表れる事、あるいはアルコール度数の上昇が回避されている。」
当店には、この「セレモニアル・ヴィンヤード 2011」が10本限定で入荷しました。(No.793〜803/1888)
まだまだ若いですが、滅多にお目にかかれない代物なので話のネタに飲んでみるのも面白いかも。