ローヌのワイン、入荷しました。
1808年に創設されたM.シャプティエは、エルミタージュの丘の麓にあるタン エルミタージュを拠点とし、ローヌ地方を代表する銘醸ワインをうみだす生産者です。ポリドール・シャプティエが、1879年に最初の自社畑を取得して以来、現当主のミシェル・シャプティエに至るまで、一貫した家族経営のもとに、畑を守り、テロワールを尊重するワイン造りを行っています。
「テロワールやヴィンテージの個性を土壌に語らせ、表現させる。」という言葉は、M.シャプティエのモットーを要約しています。ワインの味わいについて求めるのは、M.シャプティエとしての特定の味わいや一定のスタイルをつくることではなく、むしろ畑によって異なるテロワールの個性や微妙なニュアンスの差が、そのまま写真のように写し取られたワインをつくることなのです。
M.シャプティエの7代目当主、ミシェル・シャプティエは、情熱とエネルギーに満ち溢れ、固い信念と高い志に導かれたカリスマ的ワイン醸造家として世界的に知られた人物です。彼が1991年にM.シャプティエを引き継いで以来、そのワイン造りの中で最も重要な役割を果たすようになったのが、ビオディナミ農法です。
現在、M.シャプティエはエルミタージュ、サン ジョゼフ、コート ロティ、コンドリュー、クローズ エルミタージュの北部ローヌはもちろん、南部のシャトーヌフ デュ パープにいたるまで、約350ヘクタールの自社畑を所有しています。その全ての畑がエコセールによる有機農法認証を受けており、多くの畑でビオディナミ農法が実践されています。畑のテロワールに特徴的な細菌類がよく繁殖するよう、殺虫剤や除草剤は一切使用していません。畑では植物対植物、昆虫対昆虫、そして植物対昆虫といった多くの競合関係が発生しますが、これは自然界では当然のことであり、これによって自然のバランスが保たれているのです。収穫は全て手作業で行われます。またこれ以外に長期契約の栽培農家から買い入れるぶどうを含めて、ローヌのあらゆるアペラシオンのワインを生産しています。
M.シャプティエのワインの卓越性は、エルミタージュ(シラー)、シャトーヌフ デュ パープ(グルナッシュ)、クローズ エルミタージュ ブラン(マルサンヌ)等のローヌ品種を単独で100%使用し各ぶどう品種が畑の持つ特徴を最大限に表現するワインに、最も顕著に現れていると言えます。
M.シャプティエは1996年から、ワイン ラベルに点字を加えました。これは伝説的なものではなく、エルミタージュの畑の歴史に基づいたものです。モーリス・モニエ・ド・ラ・シゼランヌは、エルミタージュの一つの区画のオーナーですが、最初に点字をラベルに使ったがシゼランヌ家です。又、シャプティエ家の友人に、ことのほかエルミタージュ ブラン シャンタルエットが好きな盲目のフランス人歌手がおり、「いつもテーブルの上にこのワインがあることが確かめられれば」と言ったことが始まりだとも言われています。M.シャプティエは、これによって、視覚に障害を持つ方々を含めた全てのワイン愛好家にワインを届けたいという思いを現しています。
M. シャプティエ社はエルミタージュ、サン・ジョゼフ、コート・ロティ、コンドリュー、クローズ・エルミタージュの北部ローヌはもちろん、南部のシャトーヌフ・デュ・パープにいたるまで、350ヘクタールの自社畑を所有しています。また、南オーストラリアには、1995年に購入して1998年が初ヴィンテージとなるマウント・ベンソンというドメーヌを80ha所有しています。
《ワイン造り》
ミシェルが醸造に手がけるようになって以来、M. シャプティエ社のワインは大きく発展を遂げました。しかしながら、ワイン造りは伝統を踏襲し、今なお、12600リットルの大きな木製桶で赤ワインの発酵を行い、醸しも人間の足踏みです。彼らの注目点はむしろ、醸造所の中よりも、ブドウ畑にあると言ってよいでしょう。まだその評価が定まる以前から、究極の有機農法といわれているバイオ・ダイナミック農法を実践し、今日、自社畑で生産されるワインはすべて公的にオーガニックワインとして認められています。ミッシェル・シャプティエは、現在、バイオ・ダイナミックを実践する欧州ワイン生産者協同組合の副会長を務めています。
《点字ラベル》
1995年ヴィンテージから、点字表記のラベルを採用しています。これはシャプティエ家の友人に、ことのほかエルミタージュ・ブラン・シャンタルエットが好きな盲目のフランス人歌手がおり、「いつもテーブルの上にこのワインがあることが確かめられれば」と言ったことが事の始まりでした。
ルーシー・マルゴー
料理人としてホスピタリティ マネジメントのキャリアをスタートさせたアントン ファン クロッパーですが、10年以上に渡るその経験の中で多くの偉大なワインに出会い感化されたことから、自らの手でブドウ造りをする意思を固めました。アデレード大学で醸造学と農業科学を学び、首席で大学を卒業し学位を取得しました。
大学卒業後はしばらく世界中を旅しながら、ドイツ、ニュージーランドそしてアメリカのオレゴン州でワイン造りに携わりました。幸運なことにワイン造りに対する概念を打ち破るような機会を与えてくれた多くのワインメーカーと働くことが出来、オレゴンのドメーヌ セリーヌで働いていた頃には、偉大なワインとは、ブドウが生まれ育った環境や畑の声を表現するもので、その表現を損なうような醸造からは退屈なワインしか生まれないという考えに至っていました。アントンは優れたワインメーカーはブドウ畑の一区画毎の違いや声に耳を傾け、熟知していなければならないと思っているのです。
アントンは2002年に妻のサリー、娘のルーシー マルゴーと共に、アデレード ヒルズの16エーカーのチェリー果樹園を購入し、自らのワイナリーを立ち上げました。アントンとサリー、娘のルーシー マルゴーが目指すのは自らの個性と共生する自然を表現するワインです。それを最高レベルで達成するために、人工・自然にかかわらず酵母、バクテリア、酸、糖など一切の添加物を加えません。アントン曰く、ワインメーカーは芸術家になるのか化学者になるのかを選ぶことが出来る、と。彼は、ワイン造りは職人の手工芸品だと信じており、アントンの下す全ての決断は、ワインが持つ真のアイデンティティを発揮させることを目的に、ワイングラスと伝統的な手法に助けを借りてなされているのです。アントンはジェームズ アースキン(ヤウマ)、トム ショブルック(ショブルック)、サム ヒューズ(オーストラリア ナチュラル ワイン界の第一人者:故人)と共にオーストラリアで最も革新的な新世代ワインを作る“ザ ナチュラル ワイン セオリー”にも属しており、今世界で最も注目を浴びるアーティストなのです。
from Ned Goodwin MW:
アントン ファン クロッパーは心の通ったハグと豪快な笑いで我々を迎えてくれるんだ。彼は自分と、ナチュラル ワイン セオリー のワインに新たなリリースがある度に自らの狩猟話を交えながら、ワイナリーに遊びに来た地元のソムリエやワイン愛好家たちにゆっくりとワインを振る舞う。自らの手で狩った獲物をさばき、仕込み、ワインと共に提供する。言わばジビエのお祭りだ。アントンは自分のワイナリーを立ち上げる前はシェフだったから、そんな作業は当然お手の物ってわけなんだ。
ルーシー マルゴー ワインの中でも、ドメーヌ ルッチは彼が作る最高級ワインに使用するようなブドウとは違うブドウを使っている。でもそれは、訪れる人を暖かく迎え入れるようなぬくもりと素朴感がある。畑だって、そこでワインを飲み続けたくなるような雰囲気がある牧歌的な場所なんだ。アントンのワインは、必ずしも自社畑で収穫するブドウから造られているのではなく、契約農家が丹精込めて育てた多くの単一クリマのピノ ノワールから造られている。それは「場所は味わいによって定義されるもので、線で引かれた区画に限定されるものではない」というアントンの言葉を象徴しているんだよ。
今、世間を賑わせてるこのワインをぜひ試してもらいたいんだ。メリハリがあって、快活で。そして新鮮でファンキーな彼のワインは今地球上で最も熱いワインの一つだよ!
500円記念硬貨
本日のカクテル
オーストラリア、ニュージーランドのワイン、入荷しました。
ベタですが、新メニューです
黒毛和牛ロースステーキ
長崎県大村牛 特選ヒウチ入荷しました。
ドイツの辛口リースリング入荷しました
100年ほど昔、世界で最も高価で愛されてやまなかったワイン。それは、ボルドーでもブルゴーニュでもありません。
当時、ドイツのラインガウで造られた辛口のリースリングが世界で一番高価とされていたのです。しかし、その後市場で過小評価された時代が続きます。そこでドイツの生産者を中心にドイツワイン・リースリングの復権に取り組んだのです。
その大きな立役者となったのが先代の当主ベルンハルト・ ブロイヤー氏でした。
辛口へのシフト、格付けの廃止、徹底した低収量による畑名の意味づけ、カルタ同盟など、現在のドイツワインが再び世界を駆け巡るその道筋をしっかりと示した彼の活動には今でも賞賛の声が絶えません。
2004年5月惜しくもその短すぎる人生を終えた氏の 遺志は現在愛娘であるテレーザ・ブロイヤーさんにより 確実に継承されています。 「リースリングを再び世界に冠たる食中酒へ」 ダイナミックなお父さんの面影を色濃く受け継ぐ彼女の 今後の活動から目が離せません。
今や欧米では リースリングがグラスワインとしてレストランで提供されるのは当たり前となり、シャルドネに代わる知的文化的な 白ワインとして不動の地位を 得ています。『ドイツワイン、リースリングの復興』という壮大な夢は今着実に実を結びつつあります。
そんなブロイヤーさんのワインを飲まずしてドイツワインは語れません。
ライン河ほとりの想像を絶する断崖絶壁の急斜面、看板の特級畑ベルク・シュロスベルクは最大60度を超える傾斜というから驚きです。
ブロイヤーさんが所有するのは、ラインガウ地方のなかでも著名な2つの村、世界遺産であるライン渓谷中流上部のリューデスハイム村(粘板岩と石英層)とリューデスハイム村より約18キロ離れた、ラウエンタール村(砂利層)。日当たりが良くライン河の照り返しを全面に受ける最高の条件を持つ優良畑を所有しています。
ここ数年、有機栽培の方にも力を入れており、粘板岩の風化土壌をしっかりと耕し、ハーブや雑草などを植えて緑化にも努めているそう。急斜面での重労働となるのであまりこのようなケースは見られないそう。。それほどまでに畑を愛しているのです。
リューデスハイム(シュロスベルク)畑の違いラウエンタール(ノンネンベルク)ライン河ほとりの急斜面→温暖斜面の位置ライン河から離れている斜面→寒暖差大きい
また南東向き斜面で、朝日浴びて夕日はあたらないモーゼルから続く粘板岩と
タウヌス珪岩が混じり合っている土壌表土は砂質と黄土層、
地下深くに粘板岩がある樹齢は40年ほど…
リューデスハイムの畑は70年代に植え替えをしている。樹齢樹齢は50年以上
リューデスハイムより古樹が多い。温暖さから来るボディと土壌由来のミネラル、酸もバランス良く、各要素が強い。味わい引き締まった酸とミネラルが際立っている。
最大の持ち味はなんと言ってもリースリング種を100%使用した力強い辛口ワイン。当主ベルンハルト・ブロイヤー氏は彼のリースリングワインを、従来のドイツの複雑なワイン法に全くとらわれることなく独自の4つのカテゴリーにクラス分けしています。(彼の辛口リースリングワインには実際はシュペートレーゼ以上の果汁が使用されているにもかかわらず、シュペートレーゼ等の記載はなく、全てQ.b.Aの表記となっています。)裏のラベルに小さく書かれたローマ数字がそのクラス分け。すなわちⅠ~Ⅳまであり、数字が少なくなるほどクラスが上がります。
フラッグ・シップである銘醸リューデゥハイム・ベルク・シュロスベルク・リースリングは毎年変わるアートラベルはロイヤー醸造所でアーティストを選定しているそうです。
各メディアから絶賛の声
『私がはじめてラインガウのワインに愛情を感じたのは透明感があり力強く、時に強烈なリースリングであった。力強くも果実味豊か。それが私の理想とするところ。今日そういったリースリングを造り出す醸造家を見つけ出すのは難しい。このワイングート ゲオルグ・ブロイヤーこそ、その数少ない「特別な醸造家」の一人である。』
(ワイン評論家 アイヒェルマン、モンド ワインガイド 2001年度版)
「魔法か、天才のなせる業か?」
(ワイン評論家 マイケル・ブロードベント デカンター誌)
この近年まれに見るすばらしい品質、特にボディのしっかりとしたエレガントな辛口リースリングと新しいアイデアには目を見張るものがある。
(ワイン評論家 ヒュー・ジョンソン ポケットワインブック)
2012年 ソヴァージュ・リースリング QbAトロッケン
果汁を完全に糖分が無くなるまで発酵させた、Sauvage(ワイルド)の意味を持つキュヴェ。
今から100年ほど前、ドイツのラインガウで造られた辛口のリースリングは、世界で最も高価で愛されてやまないワインとして名を馳せていました。 しかし、その後市場で過小評価された時代が続いたことから、ドイツの生産者を中心に 「ドイツワイン、リースリングの復興」をスローガンに活動を始めました。その大きな立役者となったのが、先代の当主ベルンハルト・ ブロイヤー氏でした。辛口へのシフト、格付けの廃止、徹底した低収量による畑名の意味づけ、カルタ同盟など、現在のドイツワインが再び世界を駆け巡る道筋をしっかりと示した彼の活動には今でも賞賛の声が絶えず、今やパリの三ツ星レストランにオンリストされる程の大人気醸造所となりました。
ソバージュは、 グレープフルーツやメロンのような魅惑的で若々しい味わいが特徴です。ほのかに感じるミント香が、食前・食後酒としても食卓を盛り上げます♪ 鮮烈な酸と豊富なミネラルから、一本芯の通った醸造所の信条がはっきりとみてとれる、力強い味わいの一本です!!
2011年 リューデスハイム ベルク・シュロスベルク リースリング QbAトロッケン
毎年デザインが変わるアートラベルが魅力の特級畑リースリング♪ ドイツでは天才、故ブロイヤー氏の偉業を記念して、10年後に飲んで美味しい辛口のリースリングに贈られる「ブロイヤー・トロフィー」という賞が「ゴーミヨ」(ドイツで最も権威あるワインガイドブック)にあります。そこでは、毎年彼のシュロスベルクが1位を獲得しています。つまり、10年後に飲んで一番美味しい辛口リースリングは、このワインということなのです!!2011年は暖かく、果実味のしっかりしたフルーティな味わいに仕上がりました。これからの熟成がこのワインの真骨頂と言え、10年~20年後にどれほどの驚きと感動を与えてくれるか待ち遠しい逸品です。
2008年 オルレアン リューデスハイム ベルク・シュロスベルク QbAトロッケン
ゲオルグ・ブロイヤーのグランクリュ畑の1つベルク・シュロスベルク。ライン川沿いの素晴らしい育成条件の環境で生まれたワイン!リューデスハイムの伝説の品種オルレアン種はほぼ絶滅ち近い状態だそうですが、故ブロイヤーさんが復活させた稀少なものです。「オルレアン」は極小区画に植えられた昔からある伝説のぶどう品種です。稀少価値ありの1本です。溢れるミネラル!
ある年の冬、カール大帝が現在のラインガウの対岸にあるインゲルハイムの居城に滞在していた時、吹きすさぶ北風であたり一面、深い雪に埋もれていた。やがて春が近づいたある日、遠くに見えるリューデスハイムの南向きの丘の一角の雪が融け、銀色に輝く景色の中で小さな黒い染みのように岩肌がむき出しになっていた。その染みが日ごとに広がっていく様子を見たカールは、あのあたりに葡萄を植えたらどうだろうか、と考えた。春になるとカールはオルレアンから葡萄の苗木を取り寄せ、リューデスハイムの斜面を開拓し、葡萄を植えさせた。それは見込み通りにすくすくと育ち、3年半の後には最初の収穫が大帝に捧げられた。ワインが樽の中で熟したころ、インゲルハイムの居城で各地のワインを取り寄せてのワイン比べが開催された。ヴェスヴィオ山近郊の炎の様なワインや、ギリシャの銘酒に加え、ブルゴーニュやモーゼルからのワインも供されて、どれも大いに賞賛されたが、最も高い誉れを勝ち取ったのはリューデスハイムの赤であった。それはどのワインよりも強く、香りは他の全てのワインをあつめたほどであったという。今でもラインガウの葡萄農民たちは、恵まれた年は大帝のお陰だと信じている。葡萄の花の咲くころ、カール大帝の霊が訪れ、ライン河沿いをゆったりとした足取りで葡萄を祝福していったのだ、と。
長期熟成タイプということはわかりますが、これからどのようになるのかは未知の世界。まだまだ未完成の部分がありますが、これからどうなっていくのか、どんなわいんになるのか・・・・?それを見届けていくのも面白いかと思います。
かつてカール大帝が、ドイツのインゲルハイムの居城におられた際に、対岸の斜面「リューデスハイム」が太陽の恩恵によって、雪解けが早いので、葡萄を植えることを命令されたとの言い伝えがあります。
まさしく、いまゲオルグ・ブロイヤー醸造所が所持する「グラン・クリュ」畑となります。そこにこの「オルレアン」は植えられていたかどうかはわかりませんが・・・
故ベルンハルト・ブロイヤーさんはこの希少なラインガウにあったとされる品種をなくしてはいけないと、大事に育てておられたと聞いたことがあります。
葡萄はまだまだ研究段階ではあるそうですが、最高の畑から生まれた「オルレアン」長期熟成タイプですが、これからワインも熟成によってどのようになるかまだ未知の世界のワインということです。